JR伊丹駅のすぐ西側には有岡城が10年間だけ存在

伊丹郷町LIFE
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大阪空港がある伊丹市は大阪市内へのアクセスが良く、兵庫県内でも人気のあるエリアです。市内に大型ショッピングモールがいくつもあり、芸術・文化施設も充実しています。
阪急とJRの駅がある伊丹市中心部には歴史的な街並みを今に伝える伊丹郷町があります。昔の街並みを活かした街づくりが進められている伊丹郷町では年間を通して様々なイベントが行われ、市内だけでなく市外からも多くの人が訪れる人気スポットになっています。

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わずか10年で廃城になった有岡城

もとは伊丹城と呼ばれていた有岡城

JR伊丹駅の西にたたずむ有岡城跡。もとは、南北朝時代に伊丹氏によって建築された平城でした。1574(天正2)年、織田信長に仕えた戦国武将・荒木村重が城主の伊丹氏を追放して大改修をし、有岡城と改名しました。つまり、伊丹城イコール有岡城ということです。
城の範囲は南北1.7km、東西0.8kmで南北に細長く、本丸のあった城の東側が現在の有岡城跡になります。当時では珍しい惣構え(まち並み全体が城の護りとなる)の城が完成しますが、1578(天正6)年、村重が信長に反旗をひるがえしたために攻め込まれ、約10カ月間の籠城後、火を放たれて落城しました。世にいう、有岡城の戦いです。しかし、信長の大軍による攻撃に10カ月にわたって耐えるほど強固な構造であったことが想像できます。
村重が伊丹城を大改修して入城し、有岡城と改称した5年後には織田軍に攻められ落城。その後、天正8(1580)年に村重討伐で父や弟のともに活躍した池田之助が城主になりますが、美濃に領地を移すことになります。そのため、ポルトガルの宣教師のルイス・フロイスが「甚だ壮大にして見事なる城」と讃えた有岡城は、わずか10年で廃城となりました。

国指定史跡として残された有岡城跡

JR伊丹駅前の整備事業にともない、昭和50(1975)年から主郭部の発掘調査が始まった有岡城跡には、予想以上に遺構が残されていることがわかりました。その結果、駅前再開発計画の再検討が行われ、遺跡のうち主郭部の一部と、きしの砦が置かれていた猪名野神社境内、そして惣構の輪郭線である水路と道路敷きの一部が国の史跡に指定されました。
昭和58(1983)年からはじめられた有岡城跡主郭部の史跡公園整備は平成5(1993)年に完了。土塁の石垣や建物・井戸・堀跡などが復元され、市民の歴史学習や憩いの広場として活用されています。
有岡城跡からの出土品は、市立博物館、市立伊丹郷町館(旧石橋家住宅)などで見ることができます。

「有岡城跡史跡公園」
伊丹市伊丹1丁目地内ほか(JR伊丹駅前)

茶人でもあった武将・荒木村重

織田信長に摂津国を与えられて有岡城主となった武将・荒木村重は、利休十哲の1人。池田城主の池田氏に仕えていたころから、堺の商人とつきあい、茶をたしなんだといわれています。
織田信長に反して戦に敗れた村重は生き延びて出家します。信長亡き後、豊臣秀吉が覇権を握ってからは大坂で茶人として復帰し、千利休らと親交をもちました。
江戸時代に描かれた錦絵(伊丹市立博物館蔵)は、信長が刀に突き刺して差し出したまんじゅうを顔色ひとつ変えず、口で受け取って食べたとされる逸話を描いたもの。村重の豪傑な人物像の一端がうかがえます。

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